おおた産業メンタルラボ

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私の場合 精神科産業医なんて、その2

精神科産業医なんて必要ない、という話から、
それはどんな事態なのだろうか、
ということをつらつらと想像してみたのが前回の話。

今回はそんな状況に自分がどうしてきたか、
そしてどうしていきたいか、について書いてみます

with AI 時代と専門家の価値


ChatGPTさんにはじまる生成 AI の台頭により、
世の中的には80点くらいの水準の知識がすぐに得られるようになってきた。
専門家から見ると、精神医療の知識としてはまだまだ。
良くて65点といったところだけれど、
シロウトさんにはもう見分けはつかないかもしれない。

よくわからないがゆえに、
「情報はこれで十分じゃね?」と思われてしまう。
そのリスクは止められない。

生成AIの台頭で自分が感じているリスクは、
「専門家なんてたいして価値がない」という見方が常識となってしまうこと。
Mr.トランプ的な反知性主義の世界。
そうなったときに”価値がある”と思っているのは、
切り捨てられる側の専門家だけ、というか。

80点主義に見える65点主義が蔓延するセカイ。
理想を追い求めたい者としては、ちょっとイヤ。
でもそうなりつつあるのを感じる。

だからこそ情報リテラシーが必要不可欠になる、という話はまた別話で。

精神科産業医、特に地場の精神科医だからできること


それでもなお、
リアルな産業医、精神科産業医には存在する価値がある、
そう主張したい。

あまり表には出てこないが、産業医の重要な役割の一つに、
会社やその従業員に「医療の利用の仕方をガイドする」
「うまく医療を利用できるように解説/案内する」
ということがあると思う。

他の科の事情については心もとないが、
精神科医療の領域では、地域差が著しい。
その地域での精神医療の状況を知らなければ、
いかに良い精神科医であってもアウェイではあまり役に立たない。
(自験済み)

精神科医療との接点として、
地場の精神科医が産業医である、
ということはメリットがあると思う
我田引水がすぎるかな (笑

自分の場合


「精神科だからなんだってのよ」
「産業医でも精神科はダメ」
そう直接的に言われたことはないけれど、
産業医として働き始めたころから、
そんな批判に立ち向かえるか否かは自分にとっての課題。

当時から自分のジツリキがそれほど変わっているとは思わないけれど、
精神科医が医療の常識に疎いのは否定できないし、
「自分は違う!」とか、
「精神科産業医は普通の産業医プラスアドバンスの存在です!」
と胸を張って証明できるだけのものがなかった。

そこで、
分かりやすく労働衛生コンサルタントを取ってみた。

取ったからと言って、周囲からの見る目が変わるなんてことは全くなかったけれど、
あの資格の勉強を修め、合格した、ということは、
自分の中で胸を張れるものにはなった。

さらに、
メンタルヘルス法務主任者、
精神科産業医協会認定医、
メンタルヘルスマネジメント検定Ⅰ種、
健康経営エキスパートアドバイザー、
などなど、関連資格にはいろいろ手を出している。

資格マニアの楽しさもわからないではないな 笑

資格を積み重ねて思うこと


でも、これらの勉強、
そして先日の産業保健法学会での思索を通じて思うのは、

やっぱり自分の強みは、
精神科救急や司法精神医療での臨床経験や、
マネジメントの経験、
解決志向アプローチ、
それらと自分の個性の相まった
「状況の構造化/限界設定の力」にあるということ。

なにをするかって、
情報を集めて、
状況を整理して、
事例性の整理と
疾病性の整理、
そして苦し紛れになってしまった従業員の心理のミカタ

そんなこんなを積み重ね、
何とか従業員の苦しいところを代弁しながら、
「でもその一線は超えてはならんでしょ」だったり、
「ここまでやったから、この先はもうあとは本人に任せましょう」
といった妥当さを探る。

そんなちっともスッキリでない、泥臭い個別的な落としどころを探ること、
それが自分にしかできない産業臨床だし、
自分を役立てていただく道であることだな、
とあらためて思ったことでした。

メンタル対策の解決と限界を企業に


「メンタル対策の解決と限界を企業に」
これが自社のモットーですが、
その解決と限界は、
キレイな解決でも、キレイな限界でもないな、
と気づいたのが今回のお話。

この項ここまで。